一人前になってもらう方法

示唆に富む記事。

 


候補者選びについて

いきなりそもそも論みたいな話になってしまって恐縮ですが、ゼロからデータサイエンティストを育成するのであれば「どんな候補者が良いか」というのは結構重要なポイントです。これは、考え方としては3つあって

・データサイエンスの素養がある人たち
・現在の仕事で新たにデータサイエンスを使う必要性が出てきた人たち
・素養の有無を問わず強い課題意識を持って「データサイエンスを習得したい」という意欲のある人たち
のいずれかを選抜するというやり方が考えられます。

そして、見込みがあるのは、3番目だけという。2番目がダメな理由は、

2番目に、新たにデータサイエンスを仕事で使う必要性が出てきた人たち。これは1番目に比べると明確にデータサイエンスを仕事で必要とされているので、モチベーションは決して低くない人たちです。実際、そういう人たちは比較の問題で言えばデータサイエンスの習得には熱心です。ただ、以前の記事でも書きましたが、往々にしてヒトは易きに流れるもの。データサイエンスを使わなくても仕事上の課題を解決できるのであればデータサイエンスは無しで済ませたい、というメンタリティの人はやはり勉強に身が入らないものです。

共感できる。自分の場合は所属企業の自社内へのアプライだが、エンジニアに多変量のデータ解析の良さを示しても、自分たちがこれまでやってきた単一変量の解析手法しか使おうとしない。そのような事は多々あった。彼らは、データサイエンスが主の仕事ではないから、勉強する敷居は高い。さらに、周りの人間も単一要因でみることに慣れているため、たとえ多変量の手法で解析できたとしても、彼ら自身が周りを説得しにくい。結局、元の木阿弥。または、全く逆に、解析手法の中身を全く理解せずに、予測精度のよさだけで判断して、完全にブラックボックスで使ってしまう。

自分の場合は、3番目の強い課題意識を持った人たちへフォーカスしても失敗した経験がある。彼らは自然科学系の人間だが、データ解析による新たな示唆を期待していた。一緒に研究を進めていたが、結局、当初想定していたような大きな成果がなかなか得られなかったためか、研究幹部層からなかなか研究の重要性や面白さが認められないためか、辞めてしまった。ショックは大きかった。自分だけが一人取り残された気がした。自分の力が及ばなかったことが要因として大きいが、データサイエンスの1次ブーム前で社会的な認知もほとんどなかったことも影響したのだろう、と今更ながら思う。当時は、まだ若かったためか、出る杭になって尖った技術の追求こそが研究と考えていたが、この記事を読んで、うまくいかない要因が組織的な価値観の違いから来るのであれば、スパッと活動の場を変えるというのもありだと思った。

 

指導について、

メンターの方法論は僕自身まだまだ模索中なのでとても偉そうに例示なんか出来ませんが(笑)、やはりメンター自身も多くの試行錯誤を行なっているという過程を候補者たちに見せることが大事だと思います。その点である意味ペアプロミングみたいな要素があると個人的には思っていて、

まずメンター自身が候補者から見える形でデータ分析課題へのアプローチを行なってみせて
次に候補者がメンターの行なった分析プロセスに対して批判的考察を行い、改善する方法を考えて実践してみせる
その候補者の提案&実践に対して、メンターは効果測定を行い、さらに文献や自身の学識・経験に基づいて論評する
という一連のプロセスを何度もループさせて、候補者の見識を深めるというフェーズを作るというのは個人的には良い方法なんじゃないかと思っています(候補者のレベルが上がってきたら順番を逆にすると良い)。

これも同感。山本五十六ではないが、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という順序なんだなと。概念的な説明をしただけでは、どうしても伝わらない。結局、まずは、やってみせる、ということに落ち着いた。ただし、もともとセンスと好奇心があり勝手に動ける人は、放置で良い。